電車の吊り革
電車の吊り革の例
乗っている電車が発進するとき,目の前のつり革が斜めに傾くのを見たことがあるでしょうか。
慣れてしまうと当たり前のことなのですが,これってよくよく考えてみると不思議なことなのです。
まずはこの現象について考えてみましょう。
電車の吊り革
電車が発進するとき(進行方向に加速するとき),つり革が電車の進行方向と反対向きに傾く。
電車内の視点から,この現象はどう説明できるかを考える。
電車内の視点
加速している電車の中の視点で考えます。
つり革(の輪っかの部分)に働く力は,張力と重力のみですので,力の作用図は次の通りです。
一方で,このつり革は目の前で静止していますので,力のつり合いが成立するはずです。
しかし図の力の作用図,どう考えてもつり合っていないですよね…?
水平方向に関して,$T\sin\theta$ の力が右向きに作用しているのに,物体が静止し続けているなんて怪奇現象そのものです。
電車外の視点
では,このつり革を電車の外の視点から考えたらどうでしょうか。
この際,視点を変えても力の向きや大きさは変わらないことに注意してください。
力の作用図は全く同じになりますが,つり革は電車と一緒に右向きに加速していくというのが大きな違いです。
水平方向については,「右向きに $T\sin\theta$ の張力がかかっている。その結果,右向きに $a$ で加速している。」と考えられるため,運動方程式として,
$$ma=T\sin\theta\stext{\quad……\ ☆}$$という式を立てることができます。
慣性力
それでは話を電車内の視点に戻して考えます。
水平方向には力がつり合うはずなのに,右向きに $T\sin\theta$ の力のみが作用している状況でした。
「目の前でつり革が静止している」ことは明らかに事実ですので,何らかの力が左向きに作用していると考えるほかありません。
☆式を踏まえて,「左向きに $ma$ の力が作用している」と考えてみましょう。すると,力のつり合いとして $ma=T\sin\theta$ が成立し,目の前でつり革が静止している状況を説明できますね。
このような,加速している視点のみで観測されるみかけの力のことを慣性力と呼びます。
これまでの例からわかる通り,大きさは $ma$ で,向きは加速度と反対向きです。
よって,慣性力 $\vec{f}$ は,$\vec{f}=-m\vec{a}$ と表現することができます。
この慣性力は,「加速している視点でのみ観測されるみかけの力」であり,反作用が存在しないことに注意してください。
慣性力
加速度 $\vec{a}$ で加速する視点では,質量 $m$ の物体に $\vec{f}=-m\vec{a}$ の慣性力が作用する。
まとめると,「加速度 $a$ で加速している視点では,加速度と反対向きに $ma$ の力が働いてみえる!」ということです。
慣性力の話を踏まえて
電車の例では結果として,電車の外の視点(静止系)でも,加速している電車の中の視点でも,
$$ma=T\sin\theta$$という式が成り立ちます。
しかし,電車の外の視点では「右向きに $T\sin\theta$ の力を受けて,加速度 $a$ で加速した,という運動方程式」を意味しており,電車の中の視点では「左向きに $ma$ の慣性力と,右向きに $T\sin\theta$ の力がつり合っている,という力のつり合いの式」を意味しています。
この違いをしっかりと認識しておきましょう。
例題
鉛直上向きを速度の正の向きとしたとき,$v-t$ グラフに示す運動をエレベーターが行った。このとき,エレベーター内の質量 $m$ の物体が床から受ける垂直抗力の大きさを,横軸に時刻 $t$ を取ったグラフ上に図示せよ。ただし,重力加速度の大きさを $g$ とし,$a<g$ が成り立つものとする。
エレベーターの加速度を $a$ とする。エレベーター内の視点における,物体の力の作用図は次の通り。
力のつり合いより,
$$N=mg+ma$$が成立する。
$v-t$ グラフの傾きから,それぞれの時刻における加速度は以下の通り。
$0\leqq t\leqq t_1$ のとき,$a=\bun{v_0}{t_1}$
$t_1\leqq t\leqq t_2$ のとき,$a=0$
$t_2\leqq t\leqq t_3$ のとき,$-\bun{v_0}{t_3-t_2}$
よって,$N$ を縦軸に,$t$ を横軸に取ったグラフは次の通り。
静止系において運動方程式を考えることでも同じ答えが得られますので,余裕のある人は確認してみてください。